2022.7.13
今日も大阪市天王寺区(大阪上本町・谷町九丁目)の事務所で、交通事故被害者からの受任事務を処理しています。
6月下旬、映画「峠 最後のサムライ」を鑑賞しました。原作である司馬遼太郎さんの「峠」について、4年前にもこの欄で取り上げていました。
https://the-law-office.jp/blog/575/
https://the-law-office.jp/blog/582/
今回は、その映画版を楽しみました。
感想としては、やはり短いな、というところです。時間的な制約があり、河井継之助が家老になり、新政府軍を迎え撃つ場面だけが映画化されています。
小説の面白さは、前半部分で河井継之助の若い頃を描き、それと後半部分を読者に対比させるところでした。若い頃の河井継之助は、現代人的な性格が強いのです。合理的であり、また経済的な才能があり、生まれる時代を選べられれば、おそらくは商人として大成できた人物だと思います。
そのような彼が後半においては、藩の難局の際に家老を引き受け、大殿様の決断に従い、武士としての美しい生き方、そして死に方というものを、日本人に示すという道を選んだわけです。このような前後半のギャップこそが読者をひきつけるのですが、映画では後半だけなのです。
その後半の、武士としての美しさについてですが、やはり私は現代人でしかないので、彼の気持ちは理解できるのですが、それに民百姓を巻き込むというのはいかがなものか、と感じます。武士としての、統治する側の人間の生き方が真に美しいとすれば、それには民百姓を犠牲にすることがないということが、前提条件として必要なはずではないか、そう思うのです。別の映画である「ラストサムライ」のラストシーンが美しいのは、野戦での滅びだからです。あれが市街戦ならば、皆違う感想を持つことでしょう。
と悪口ばかりを言うのも気が引けますので、最後に司馬先生の小説あとがきからの文章を再び引用します。
「ここで官軍に降伏する手もあるであろう。降伏すれば藩が保たれ、それによってかれの政治的理想を遂げることができたかもしれない。が、継之助はそれを選ばなかった。ためらいもなく正義を選んだ。つまり『いかに藩をよくするか』という、そのことの理想と方法の追求についやしたかれの江戸期儒教徒としての半生の道はここで一挙に揚棄され『いかに美しく生きるか』という武士道倫理的なものに転換し、それによって死んだ。挫折ではなく、彼にあっても江戸期のサムライにあっても、これは疑うべからず完成である。」
たとえ彼の墓に、死後長岡人からつけられた傷が多数あるとしても、彼が最後に殉じた『いかに美しく生きるか』という武士道倫理的なものの清らかさは、少なくとも全否定されるべきではないでしょう。
決して「勝てば官軍」ではないのだと思いたい、自分の魂がやはり震えます。
合掌
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