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司馬遼太郎さんの「峠」を読み終えました

コラム

2018年12月24日
司馬遼太郎さんの「峠」を読み終えました

2018.12.24

今日も大阪市天王寺区(大阪上本町・谷町九丁目)の事務所で、交通事故被害者からの受任事務を処理しています。

お陰様で体調の方は、大分よくなりました。明日か明後日には、完全復調でしょう。お客様やご相談者の皆様、ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。また、ありがとうございました。

読書ですが、ついに「峠」を読み終えました。繰り返し記載している、なぜ河井継之助ほどモノが見える人物が、あの時代に官軍と戦い、ついに藩を滅ぼしてしまったのか、については、司馬さん自身のあとがきに、司馬さんの考え方が簡潔にまとめられていますので、それを引用するのが適切でしょう。

「ここで官軍に降伏する手もあるであろう。降伏すれば藩が保たれ、それによってかれの政治的理想を遂げることができたかもしれない。が、継之助はそれを選ばなかった。ためらいもなく正義を選んだ。つまり『いかに藩をよくするか』という、そのことの理想と方法の追求についやしたかれの江戸期儒教徒としての半生の道はここで一挙に揚棄され『いかに美しく生きるか』という武士道倫理的なものに転換し、それによって死んだ。挫折ではなく、彼にあっても江戸期のサムライにあっても、これは疑うべからず完成である。」

なるほど、とは思いますが、全てわかっていながら美しく生きようとしたんだ、という理解も、詩的・文学的には心地よくとも正確ではないような気がします。私は、継之助に欠けていたものが2つあるな、と考えています。1つは藩の能力の正確な認識、もう1つは中立策の困難さに関する正確な認識です。最新兵器で武装した長岡藩の実力をもってすれば、官軍も中立を認めざるを得ない、また長岡藩を仲介とする会津藩との外交解決路線に切り替えざるを得ない、という妄想が、彼の美しく生きようという思いの強さから生じていたという面があったのではないか、そう感じています。

まあ、そんな感想はどうでもいいでしょう。江戸期の(戦国時代ではない)サムライの美しい生き方、そして死に方に、ただ酔いしれればいいのでしょうね。

 

 

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