2019.12.14
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11月26日、ここで「新説! 所JAPAN」という番組に触れ、赤穂浪士討ち入りの動機に関する磯田道史先生の新説に少し触れました。その後、12月11日付読売新聞の磯田道史先生のコラム「磯田道史の古今をちこち」でも、この新説が紹介されていました。
このコラムによると、赤穂浪士に近松勘六という人がおり、その筆記能力の高さを大石内蔵助に買われ、討ち入り直後も書き役のごとく記録を残しました。大石と近松は、この記録一式をもって近松の家来を西に下らせました。この記録が古文書として、滋賀県野洲市比留田の近松姓の家から発見されたそうです。
この古文書には、泉岳寺の浅野内匠頭墓前における、浪士たちの振る舞いが詳細に記述されています。これを要約しますと、
まず、喧嘩両成敗を無視した公儀の裁きを批判し、浅野の禄を食んできた自分たちは、不?戴天の仇である吉良上野介と同じ地を踏まないと言わざるを得ない、と墓前で奉告しました。
その後彼らは、鞘を抜いた小脇差を石塔の上段に、柄を石塔の方に向けて置きました。それから、小脇差を取り、上野介の首に三度当て、脇差を元のところに置いて退くという儀式を、浪士たち一人一人が始めました。つまり、彼らは墓石を生きている主君に見立て、吉良の首を取らせる介助のしぐさを繰り返したそうです。
その時、内蔵助が、「上野介殿宅へ推参。上野介殿のお供をしてここまできた。この合口(小脇差)は尊君(内匠頭)の過日の御秘蔵で我らに下さったもの。只今、進上します。墓下に尊霊があれば、お手を下され鬱慢を遂げてください」と述べました。
これらを受けて、磯田道史先生は、「吉良邸討ち入りはまだ手段の段階で、大石たちの最終目的は墓石を主君に見立て吉良の首に手を下させる「首切断式」の挙行にあった。」とされています。(続く)
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