2025.1.1
明けましておめでとうございます。
令和6年中はお世話になりました。
本年もよろしくお願いいたします。
ホームページを更新するに当たり、去年の正月にどのようなことを書いたのかを確認してみたところ、令和6年1月1日15時36分に、下記のようなことを書いていました。
「さて、今日も大阪市天王寺区(大阪上本町・谷町九丁目)の事務所に出てまいりました。お昼前から、氏神様、産土様、そして岸正和法律事務所の産土様兼氏神様である生國魂神社さんに、順番にお参りをしてきました。当然、少しでも多くの交通事故被害者の方のお力になれますことを、祈念して参りました。
さすがに、法律事務の仕事をする気分になれない元日ですが、今年の構想を練ることくらいはできます。
あくまでも素人考えですが、今年は、世界にとっても、日本にとっても、激動の一年となる可能性が、無視できないレベルであると見ています。可能性は低いものの、現実化すると大変なことになるリスクに対して、個人としてどのような準備をすべきか、常に頭脳をフル回転して思考し、結果的に無駄となることを恐れずに行動し続ける一年となるでしょう。
今の日本人を見ていると、大都市でマンション暮らしを楽しみながら、地政学的な問題について勇ましく格好の良いことを、声高に叫ぶ人が少なくないことに驚きます。彼らは、異なる考え方の人を「平和ボケ」と揶揄しますが、私から見れば彼らの方が圧倒的に「平和ボケ」です。と言うより、今の日本人は私自身も含めて誰もが、平和ボケをしているのであり、それは我々が幸福であったということなのでしょう。
そのような平和な幸福を、所与のものであるとは考えず、「常在戦場」そして「先手必勝」のリアリズムで、混乱の時代をサバイブしていく覚悟を、元旦の昼に固めております。
少し仕事とは違う話になりました。また元日から、少々物騒な話をしてしまいましたが、私の人格の根本に「常在戦場」の精神が溶け込んでいますので、お許しください。」
このような記事をアップした34分後の同日16時10分、能登半島の地震が起こったわけです。あまりにも早く、「常在戦場」の正しさを確認することとなりました。
平時において戦場を意識しながら、その対策を可能な限り整えておくことの重要性を認識するのみならず、個人的には、情報収集、分析、意思決定及び行動に、自らの能力の多くを割いた一年が令和6年でした。ここに具体的には書きませんが、私にとっては一生忘れられない一年となりました。この行動はもう少し継続する必要があり、したがってこの令和7年も、私の人生において、重要な一年となることでしょう。
ピンチはチャンスと明るく、軽く言い放つ人は多いです。
しかし私は、平素からピンチを想定して迎え撃つ準備を行っていた者にとってのみ、ピンチがチャンスとなる可能性が高まるものであると考えています。