楚と日本の類似性を強調する司馬先生は旧日本陸軍軍人であり、昭和の日本軍の欠陥を度々唱えられました。そんな司馬先生にはこの物語を記す際、項羽の欠陥に仮託して昭和の日本人及び日本軍の欠陥を語っているという自覚はなかったのか、一度ご本人にお聞きしたかったな、と思うのですが・・・。残念ながら、司馬先生ご存命中の私は、「項羽と劉邦」をこのように読むことはできていませんでしたし、「漢の風 楚の雨」という原題を観ても、今回のような想像をすることはできていませんでした。やはり人間は年齢を重ねるにつれて知識量が増えるものであり、知識量が増えると同じ経験をしても異なる観点からそれを味わうことができるものなのでしょう。
ただし、人間の感性というものは変わりにくいのでしょう。17歳の頃も、20代後半の頃もそして40代半ばの今も、項羽と劉邦に対する好悪の感情は変わりません。劉邦に対する警戒感・嫌悪感は今回も強かったですし、項羽のどこかさっぱりとした武人という人間性については、いつこの本を読んでも好感しか抱きません。また、項羽の最期に近づくにつれて居たたまれなくなる、17歳の頃の自分と全く変わらない自分がいました。
そう言えばこの駄文を記している数日の間、上本町には雨が断続的に降り続けていました。楚の、いやみずほの国の雨に書かされた文章なのかもしれません。
(終わり)