2020.1.9
今日も大阪市天王寺区(大阪上本町・谷町九丁目)の事務所で、交通事故被害者からの受任事務を処理しています。
話を30年前に戻します。高3になると、母校畝傍高校ラグビー部員のほとんどは、受験勉強を理由に引退します。しかし、同期で3名だけ、高3の11月の全国大会予選まで現役を続ける「変わった人」がいました。私もその一人でした。
御所工業ラグビー部員が練習中に死亡するという悲劇があったのは、その春だったと記憶します。このことは報道でもよく取り上げられており、知っている人も多いと思います。そのため、御所工業ラグビー部は、当分の間、公式戦に出場しなくなりました。
正直、この年の6月に大会(県立高校のみのトーナメント戦)があったのですが、これに御所工業が出場していれば、優勝していたと思います。この大会に私も出場したのですが、当時非常に体調が悪く、吐きそうになりながらも試合に出た記憶があります。その試合のレフェリーが、竹田先生でした。
そのすぐ後、国体か何かの奈良県代表を選ぶセレクション・マッチがありました。高2のときにはこれがありませんでしたので、新しい試みであり、恐らくは竹田先生の高校ラグビー界参入やそれによる県立高校のレベルアップによるものと想像します。
私もそれに参加したのですが、まだ体調は万全ではなく、自己評価としては全く自分の良さが出せていなかったと思うのですが、終わった後、後輩たちから、「竹田先生が岸先輩を絶賛していましたよ」と言われたのです。「本当の俺はこんなもんやない」と言いたい気分もあったのですが、正直、嬉しかったですね。30年もたった今も、忘れていませんから。
結果的には私は奈良県代表メンバーに選ばれることはなかったのですが、自分が、凄い人と尊敬していた人物に自分を印象付けることができたこと、凄い人と思っていた人が、その後本当に凄い人であったことを結果を出して証明されたこと、などから、あの日のことは私の青春の大きな思い出となっております。御所工業(実業)が花園を沸かせる度に、思い出す一コマです。
ただ、竹田先生は、あの時の自分の何を評価されたのであろう、という謎は残っています。今、自分なりにそれを考えてみると、ラグビーのうまさではなかったことは間違いないと思います。そんな表面的なものではなく、やると決めたことについて、自分の全てを賭けてでもやり抜こうとする人間の持つ「気合」を感じていただいたのかもしれません。30年たち、年間360日以上仕事をしているような「弁護士バカ」に成長してしまった今、そう思います。(終わり)
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