2019.12.15
今日も大阪市天王寺区(大阪上本町・谷町九丁目)の事務所で、交通事故被害者からの受任事務を処理しています。
他方、手元に平成23年師走の京都南座における顔見世の番付(筋書、パンフレットのこと。)があります。このとき、「元禄忠臣蔵 仙谷屋敷」が上演されました。
仙谷というのは、幕府大目付の仙谷伯耆守のことです。その屋敷に、討ち入りの翌15日朝、浪士たちは入り、伯耆守の尋問を受けます。この番付94頁からの記述を引用すると、
「大石は、それは思い違いだと言って、武家の大法の喧嘩両成敗に則って、吉良を罰せず、浅野だけ罰した幕府の対応に異議を申し立てる。その上で、主君の切腹も御家没収も大法に従って受け入れたが、唯一無念なのは、全てを捨てる覚悟で吉良を斬りつけた主君の願いが成就されなかったことであり、主君の念を継ぎ届けるためのみに、討ち入ったと語る。」
また、91頁には、「『主従相恃む武士の心情』から発した行動で『故主浅野内匠頭の最後の一念を継いだだけである』と申し開きます。」という記述もあります。
更に、私の記憶ですが、大石が、内匠頭が短慮にして殿中において刃傷沙汰を起こしたのであるから、公儀が内匠頭に切腹させたのは致し方ないとしても、内匠頭が全てを捨ててでも吉良に斬りつけたということは、吉良との間で余程のことがあったということでしょう。その真相を知ることはできませんでしたが、我々は内匠頭の禄を食んできた者であります。内匠頭が命に代えてでも、また家臣を路頭に迷わせてでも、吉良の首をとりたかったのであれば、そのような思いを継ぐことは、武士として当然のことでありましょう、というようなことが、内蔵助によって述べられていたと思います。
この「元禄忠臣蔵」は、本質的には「仇討ち」には当たらないであろう、内蔵助らの行為を、いかにして正当化するのかについての、作者である真山青果による考察、論証が展開されたお芝居となっています。法律家である私から見れば、「仇討ち」という行為の本質をまさに「主従相恃む武士の心情」に見出し、本件行為もまさに「主従相恃む武士の心情」の発露であるとして、「仇討ち」に該当する、あるいはそれに準じるものである、とする理論構成であると思われます。ここは真山先生、いや大石内蔵助かな、なかなかやりますな、と感じてしまいます。(続く)
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