2018.12.16
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以前にもここに書いた司馬遼太郎先生の「峠」ですが、今、中巻の後半に入ったところです。既に鳥羽伏見の戦い~徳川慶喜の敵前逃亡も終わり、主人公の河井継之助が、長岡藩の家老として江戸や横浜で情報収集をしているところです。
この河井継之助は、実に様々な事象を正確に認識でき、未来を正確に予測できた人物ではあるのですが、なぜか長岡藩を武装中立に導いてしまいます。マキャヴェッリが説くように、中立策というのは最悪手である場合が多く、実際にもこの場合はそもそも新政府軍に認められなかったのですが、なぜ河井ほどの人物が、愚策である中立策を敢えてとろうとしたのか、については様々な見解があります。
この「峠」という小説をここまで読んでみて、この問題についてのヒントとなる大きなポイントは、少なくとも2つあります。1つは、河井は横浜でスイス人の商人と深い親交があったという事実です。この交わりが河井に、山深い小国であっても産業を盛んにして中立を図る生き方があるという考え方を植え付けたように、司馬先生は書かれています。
もう一つは、人はその立場によって決定づけられているという、河井の人間観です。自分は長岡藩の家老であり、長岡藩の藩主牧野家は三河以来の徳川譜代の臣であり、新政府の側にはつけない、という「立場論」が、彼の思考や行動に限界をもたらした、という視点です。しかしこれについては、徳川家が新政府軍に全面降伏している以上、理論的な弱さを私は感じます。
この問題に関する司馬先生の解はどういうものなのか、もうすぐわかるということでしょう。
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