そもそも、後遺障害逸失利益における差額説とは、後遺障害がなかったら被害者が得られたであろう現金収入と、後遺障害がある結果、現実に得られる収入の差を逸失利益とするものである。これは、過去又は現在ではなく未来の事実を認定しようとするものであること、また後遺障害がなかった場合という反実仮想によらざるを得ないこと、消極損害であること等、事実認定に馴染まない性格を有するものである。
差額説について率直にコメントすると、これは法曹の手に余る考え方であり、司法という場所では使い物にならない。そのようなことができれば素晴らしいが、できないに決まっていることをやるため、差額説を採用すれば法曹は絶対に間違える。差額説に基づいて逸失利益を計算すると、結論が出たその瞬間に間違える。本質的に間違える。間違えるのが宿命である。
文系の者にできないことを無理にやらせてしまうと、どこかに歪みが生じることになる。できないと言えない者が少なくないから。
ここでは、差額説の「差額」という言葉が独り歩きしている。すなわち、事実認定に馴染む過去の事実である事故後請求時までの短期間における減収を過度に重視する形に、差額説は進化ないし悪化している。そこには、論理性が欠如しており、そもそも裏付けとなるデータすら存在しない。ただ、誰もが簡単に認定できる(これも本当はそうではなく、名目賃金で考えるから簡単に認定できた気持ちになってしまったり、また「本件事故による受傷及び後遺障害による」減収が問題になっていることに気付かなければ簡単に認定できた気持ちになるだけのだが。)過去の減収という事実が、「差額」という名前と整合するためか、決定的要素であるかのように扱われてしまう。
他方、今、賠償交渉を始める者にとって、このように進化ないし悪化した差額説は鬼門である。この2,3年の賃上げという大きな交絡要因が存在するためである。ちなみに、賃上げといっても、物価上昇には及ばないものであり、いわゆる実質賃金は下がっているというのが一般的な話ではある。円の価値が毀損され続けているのを無視し、名目金額だけを見て差額なし、よって減収なしと適示される傾向にある。ただこの点のみを見ても、差額説は間違える。
そもそも、本来的意味における「差額」と文系脳との相性が、絶望的によろしくないのだろう。